密教と日本絵画

平安時代に時代をさかのぼってみますと、様々な特徴的な出来事や歴史上の人物がおります。皆さんも日本史の教科書などでご存知の空海と最澄は、この時代に密教を広めた人物です。平安時代は、平安京に都が移されることによって、人々の生活が大きく変化した時代であるとも言われています。そんな中、仏教は国家を支えるためのものとしての存在から、密教として人々の個人的な信仰とされる姿がその時代背景にあったようです。奈良時代の仏教は、都市部に集中して国家的であったようですが、密教は地方にも広められるとともに国家的な信仰から民間的な個人の信仰に移り変わるとともに、山間部などに寺が作られるとともに、修行僧などはの奥深い山々で修行をするといったような時代的な変化が訪れたそうです。密教に深く関わっていた空海と最澄は、それぞれ天台宗と真言宗を広めていったようです。天台宗は、絵画的であるなどとされ、真言宗は彫刻的であるとされているようです。どの時代も宗教と絵画は、密接な関係がありありますが、天台宗も真言宗もそれぞれ日本の絵画の土台となり「やまと絵」「絵巻物」などの日本絵画に大きな影響を与えていったようです。仏教には、日本古来のものだけでなく世界からの多様化された文化などの要素が多く含まれ、信仰が広まるなかで世界各国をベースとする多様性を含む文化が日本人の文化として様々な様式をもって開化したようです。当時、日本全国に広がりをみせた密教美術は、現代を生きる日本人の審美的センスのベース的な要因の1つにもなっているようです。